ドナリー、ドナリへ帰る。

な〜んてダジャレを書きたかったのだが、
実際は土成の隣の市場町。
氷柱も数時間で溶けるような猛暑と大きな台風が一つ過ぎ去って、
この先またいつ来るかもしれない災害レベルの天候に
どう対処しようと頭を抱えていた矢先、
ドナリーに里親希望の依頼がきた。
聞けば先住犬がいるという。
その子たちと仲良くなってくれるなら、と。
デカイ犬は一般的に見て里親が見つかりにくい。
とてもありがたいオファーだけど、
多分厳しいだろうなと思っていた。
この2ヶ月、彼の様子を見ているうちに
私はすっかり弱気になっていた。
野犬はもちろん、野良犬にもいろんな歴史や経緯があり、
性格ゆえの様々なクセやタブーがあって、
一様には飼育できないということを思い知らされていたのだ。
先に保護して今やすっかりラテン系メタボ型になっているクロッキーとは
全然違う。ドナリーの目の奥には、何か厳しく辛い過去が潜んでいた。
他のボランティアからも、
私のやり方があまりにも場当たり的でかつ他人任せで、
自宅で飼育できないのに保護するべきじゃないと苦言を呈する人もいて、
表現の仕方はともかく内容はごもっともだったので、
私には彼らを保護する資格ないなと思っていた。

車のドアを開けると、嬉々として飛び乗ってくる。
おっさんひとり分のスペースを陣取り、
流れる景色を見ながら、西へ。
そこは、緑豊かな風景の中にある、とある製造会社。
出迎えてくれた社長さんは、笑顔の素敵な女性だった。
昔から動物が大好きで、捨て犬や野良犬を保護して
里親を見つけたりそのまま飼育したりしているのだそう。
会社には2匹の、そして自宅には6匹の犬がいた。
驚いたのが、それぞれ鎖で繋留するのではなく、
1匹ずつの犬舎があったこと。犬たちは中で自由に過ごしている。
朝夕の散歩、ごはん、おやつ、
社員さんやパートさんが交互に相手をしてくれるという。
御用達の獣医さんもいて、
フィラリアなどの投薬も毎月全員きっちりしているとのこと。
なんて素晴らしい。
肝心のドナリーはというと、
初対面で豪快に吠えられたおばあちゃんワンコとも、
あっという間に打ち解けるというミラクル。
もう、置いて帰るしかなかった。

よろしくお願いします。
そういって頭を下げるのが苦手だ。
人に頭を下げるのが苦手なのではない。
最後に頭を撫でて、帰る挨拶をするのがすこぶる苦手。
こればっかりは何度やってもどうしても慣れない。
歯を食いしばり涙をこらえて、
でも言葉を発しなければならなくて、
結果、変に歪んだ不細工な顔で無理くり笑顔を作る。
日が傾きかけた帰り道、
大きなスペースができた後部座席から窓の外を見る。
それはかつて、
ドナリーが見ていた景色に限りなく近いことが
分かりすぎるほど分かった。

ドナリー、西へ帰る。

あの嵐の夜に、
ビールを飲みながら(オレが)
ヒソヒソ話をしながら(オレが)一緒に過ごしたこと、
一生忘れないよ。
デカイ体で体当たりで甘えてくるドナリー、
ウーハーの効いた美声で全力で吠えるドナリー、
雨が降っても小屋に入らないドナリー、
雷が鳴ると漫画みたいにブルブル震えるドナリー、
脱走しても自力で帰ってきたドナリー、
・・・あかん・・・思い出したら泣く;

またいつでも会えるんやけん、子離れせなな。
私のやるべきことはまだまだたくさんあるんやしから。
どうか元気で、みんなと仲良く、幸せに暮らすんだよ。
新しい家族の皆様、どうかよろしくお願いします。

9月12日
眉山の向こう、西の空を見ながら。

犬のこと。

心配かけてすまぬ。
実は、オレがしんどいわけじゃないのよ。
この活動は好きでやってることやけん全然苦じゃないし、
やってるとゆーてもたかだかしれてる。
個人でやってるから、できることは限られてるしね。
他のボランティアさんたちはもっとエゲツない、
過酷で悲惨な状況に対処したりしてる。
元々体力がないうえに、
デカ犬2匹はもうガチでギリギリのところだけど、
ヘトヘトになっても深夜のビールが美味いから大丈夫。
達成感をアテに、しっかり飲んでおります。
今年はライブがない分、こっちに体力使ってる!

それよりも、大変なのは犬の方。
特にドナリー。
保護して2ヶ月経つけど、なかなか落ち着かない。
ずっと続く下痢はついに「ストレス説」が浮上。
こんなに長期間ずっと下してるなんておかしい。
血液検査も便検査も異常なかったし、
食べているごはんは他の子たちも同じもの。
もしかすると、慣れない暮らしにストレスを感じているんじゃないか。
思えば彼は、土成町で自由に放浪していた。
(オレのイメージでは、自然が豊かで一軒家が多くて、
駐車場がめっちゃ広い。一家に1匹犬か鶏を飼っている。)
とても静かだったかもしれないし、
人に近づくのはお腹が空いた時だけだったかもしれない。
気の向くままに歩き、雨が降ればどこかでしのぎ、
雷が鳴ればどこかで隠れていたんだろうと思う。
少なくともこんな街中で、
人や車や音や匂いが強烈で、重い鎖で繋がれてはいなかったはず。
丸太のように肥えて、
すっかりラテン系になっちまったクロッキーはまだいいとして、
ドナリーは本当に幸せか。
ストレスなく、快適に暮らせているか。

ーーー保護しただけで安心しちゃいけない、
その先の、安住の地を見つけるまでが保護活動だよーーー

トラブルや心配事のオンパレードの最中、
ボランティア仲間に言われてハッとなった。
ほんまやな。
助けただけで、とりあえず連れ出しただけで、
満足してしまってはいけない。
餓死するよりはマシ?
殺処分よりはマシ?
それはそうだけど。
そこを考え出すと、
柄にもなく弱気になってうっかり落とし穴に落っこちそうになる。
「人間のエゴ」っていう、最上級の問題。
きっと「正しい答え」なんてない。
そもそも「正しさ」なんて人間ありきの話だし、
それを成し遂げる技量なんて自分にはない。

自問自答は続く。

ショートカット


久しぶりに髪を短くした。
梅雨明けの兆しがまだまだ見えない今日この頃、
犬の散歩でドロドロになって日に何度かシャワーすることもあるし、
その度にドライヤーで汗だくになるのも嫌だし。
それに、去年あたりから変だなぁと思っていたけど、
夕方になると突然見舞われるホットフラッシュ。
首から上がカーッてなるの。
ちょうどピアノに向かっている時間帯なので、
中身に影響しかねないと思いつつ、ちょっと不安だったりする。
とあるテレビドラマのエンディングで、
自宅で踊る石田ゆり子が可愛すぎて、
オレも前髪ぱっつんにしようかなぁ~などと愚策を練っていたが、
かろうじて思いとどまった。
「思い切り刈り上げてください!」
意気揚々と美容室に乗り込み伝えると、
長年私のやんちゃ髪の面倒見てくれているお姉さんが
「つ、ツーブロックですか?」と笑顔をひきつらせる。
聞けば、毎日きつめのメイクをする人なら映えるけど、
オレみたいなすっぴん眼鏡には全く似合わないらしい。
ということで、適度な爽やかさを残しつつ、
やんちゃな感じで刈り上げてもらうことにした。
軽~い!さっぱり~!
ショートカット、いいよ!
軽いし楽だし、耳飾りが映える。
姿勢を気にするようになって背筋が伸びる。
それに、ちょっとだけ強くなった気になる。
にしし。

SNSの難・完


またしても、みんなに心配かけてしまった。
蓋を開けてみたら実は全然ファンじゃなかったという
大ドンデン返しのシュールなオチで終わりました。
ファン心はなかったけど嫉妬心はあったらしい。
要するに、最初からひとりで苦しんでいたってこと。
なんでそんなやり方でしか接することができんのだろう。
ますます謎は深まるばかり。
でも俯瞰的に見れば、
この期に及んでもホンマの自分に気づけてよかったと思う。
偽りで生きるのはしんどいよね。
本心で生きてほしい。
じゃないと、時として周りが迷惑。

相手が見たら傷つくから投稿を削除しろとか、
ファンを辞めるのはファンの勝手だろとか、
いろんなご意見をいただきましたが、
何をどう書いても傷つく人は傷つくだろうし、
もとはといえば一発目で傷ついたんはこっちやっちゅうねん。
確かに、普通はそうかもしれんよ。
応援してくれてる人もいれば、アンチな人もいる。
表現者として活動していく中で、
いちいち気にしてたらあかんって分かってるつもりよ。
でも、それなりに親しい間柄だったからショックだったし、
心当たりがまるでないし、
その後の行動も謎だったので、
なんでかな、私はこう思ってるんやけどな、って
ストレートにぶちまけたまでのこと。
オレも人間やけんな。
自分のページで自分の気持ち言わせてよ。
熱烈に言い寄られて調子に乗ってた部分もあるけど、
今思えばちょっと異常な距離の縮め方だったと思う。
なんか怪しいなって見抜けんかった自分も情けない。
彼女からは再びブロックされてしまったので、
もう関わることはないでしょう。
どっちが優位とか何が正義とかじゃなく、
ちゃんと向き合って話ができんかったことが残念。
誤解やわだかまりが解けて(それがあること自体ショックやけど)、
前より分かり合えるチャンスだったかもしれんのに。

毎回ネットに刺激強めなことを書く度、
あれこれ物議をかもしてしまいお騒がせしております。
今回もたくさんの意見やアドバイスをもらったけど、
みんなそれぞれ悩んでた。
でも大事な交流ツールとして、
距離感やマナーを守りつつやってることが分かったよ。
発信できる場所があるっていいよね。
仕事の上で便利っていうのもあるけど、それ以上に
気持ちを整理できたり共有や同調できるって、素敵なことだと思う。
だからこそ、
暗い重い話や反感を買うような投稿はなるべくしないっていう配慮も必要なんだろうけど、なにぶん正直なもんで、直感でなんでも言っちゃうんよね。毎度毎度すんません。いい勉強になった。
己を見つめ直そう。まだまだ自粛中やし、ヨガも始めたし。
長々と、読んでくれてありがとう。飲む。

かつて私は



馴染みのバーで「ひとり婚約会見」をしてマスターにドン引きされた夜から数日後、昔の恋人に遭遇した。
遭遇、というのはでも正確ではなくて、共通の友人が良かれと思って引き合わせたのだ。何年か前に遭遇した時に(その時は本当に遭遇)気安く1杯ご馳走したことを覚えていたらしく、今日はそのお返しをという。大きな目、くるくるのくせっ毛、笑い声、ものの5分で懐かしさが取り留めなく溢れて、なんだか宙に浮いたような感覚でグラスを合わせた。が、機嫌よく近況報告をしていた最中、なんともいえない後悔の波が押し寄せた。別れた時のことを思い出したのだ。あの時、喧嘩にさえならなかった。わがままで不安定な私に彼がただくたびれただけ。「改めて、なんかごめん。」誠実さがあるんだかないんだか、ともかくそんな詫び方をして顔色を伺ったが、意外にも彼は笑っていた嫌な事をしっかり覚えている私に対し、楽しかった事しか覚えていないという。なんとまぁめでたい男。

10数年前。
恐ろしく違う感覚と、素晴らしく同じ感覚どちらも併せ持ったミラクルな間柄として3年ほど付き合い、季節ごとにあちこちを旅した。
車で、バイクで、時には飛行機で。海や山、都会にも田舎にも小さな島にも出かけた。高知で視界からはみ出るほどの大きな花火を見たことや、京都の宿のおばちゃんがやたらと時間に厳しかったこと(連泊したので何度も怒られる羽目に)、真夏の海岸線で着物姿をしたお化けを見たこと・・・。酔いが回ってきたついでに、互いの口癖も改めて指摘し合った。私の場合、いまいち理解していないのに無理矢理に同調する時に出る“確かに”。彼の場合は自分の意見を散々熱弁した後に言う“知らんけど”。信ぴょう性有る無し関係なく言うので、当時私は何度も注意したように思う。記憶の奥の奥の方、箱の中で眠っていた記憶の数々。花咲爺さんばりに可愛くて幼い思い出がそこかしこに咲いて、空っぽのグラスを気にせずテーブルの上が満開になった。

そして、ちゃんと我にかえる。
どんなに思い出話しが楽しくても、それらひとつずつが愛しくても、目の前で笑うこの人はもうほとんど知らない人。二度と共鳴することのない、何ひとつ現在とリンクしない、見えないベールの向こう側にいる人。それはまるで遠い未来からやってきた古い知人みたい。ベール、という感覚についてしばし妄想した後、「ナタデココみたいな感じ。」とうっかり声に出してしまい、先日のマスターに続いて未来人までもをドン引きさせた。

かつて私は。
今でも友人たちはこぞって言う。彼と結婚すべきだったと。純粋にまっすぐに影響し合い、育み合っていたと。でも、それを望まなかったのは私だし、そこに至らなかった理由は無数にあったのだろう。それは今でも同じ。変わらない何か、変えられない何か。少なくとも私に関してはあまり成長していない。東京から戻ってきて何もかもやり直しだったあの頃、ひょんなことから出会い、強烈に惹かれ合い、ボロボロになって決別した。「もし俺らが結婚してたとしても、多分上手くいかなかったと思う」。あの頃の声で、まっすぐに私の耳に届く。「確かに。」グラスに残った若くて甘い思い出を飲み干した。

今日はありがとう。
夜も更け、すっかり冷え込んだ大通りに出る。連絡先も交換せず笑顔で別れた。「自由にやればいい。それがあなただ。」いったい何を見透されたのか、元気づけられてしまった。タクシーのシートに沈み込み、大きく息を吸う。またいつか、どこかで。自由奔放で若かった私たちに、ふいに出会った夜だった。

 

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