あの日、
ぐわんぐわんと弧を描きながら天井にぶつかる照明を見上げながら、
地震じゃ起きろ!と叫ぶオトンの声を聞いた。
お昼前にようやく揃ったクラスメイト、
授業は再開されたが、
教室のテレビに映る映画みたいな被災地の現状に、
先生も含め、みんなでただただ言葉を失った。
不登校になったのはそれからすぐ後。
ただでさえ学校が苦痛だった。
大勢の人が怖かった。
みんなの呼吸が怖かった。
いつも教室が酸欠だった。
そしてこの日、
決定的に怖いものが追加され、確立された。
しょっちゅう過呼吸になり、
教室を飛び出してはトイレに逃げ込み、
小さな窓を全力で開けた。
このままじゃ進級できないと告げられて、
折衷案で3学期は丸々保健室で過ごした。
今は遠い記憶。
できるなら、思い出したくはない。
幸い、といえばかなり語弊があるけど、
親になることがなかったので、
もうあのシチュエーション、あの苦しさを味わうことはない。
と言いつつ、
何かの集会や満員のエレベーター、バスや電車は苦手。
免許センターの講義も真っ青になるし、
体育館で歌なんか歌っている自分に、実は一番自分でびっくりしている。
あの日、
ほとんど、テレビや新聞などの映像しか残っていないあの日。
普通に生きてた人が、「生き残った」と刻み込まれたあの日。
今日はラジオ出演だったこともあり、
いろんな話を聞いたり見たり考えたりしたので、
忘備録として書いた。
あの時を境に建築法も変わったし、
報道局同士の連携や対応のしかたも変わったらしい。
ネットの普及も加速した。
生きるということ、
今を生きられているということ、
それは、
偶然と必然が数珠繋ぎになって存在する奇跡の連続。
たとえ自らの意思でなくとも、
確実に何かに生かされていることを忘れちゃいけない。
先祖や家族、先生や友達、上司や部下、先輩や後輩、
今日した仕事や今日食べたものや飲んだもの。
感謝せなあかんな。
今を生きていることに、感謝せなあかん。