かつて私は



馴染みのバーで「ひとり婚約会見」をしてマスターにドン引きされた夜から数日後、昔の恋人に遭遇した。
遭遇、というのはでも正確ではなくて、共通の友人が良かれと思って引き合わせたのだ。何年か前に遭遇した時に(その時は本当に遭遇)気安く1杯ご馳走したことを覚えていたらしく、今日はそのお返しをという。大きな目、くるくるのくせっ毛、笑い声、ものの5分で懐かしさが取り留めなく溢れて、なんだか宙に浮いたような感覚でグラスを合わせた。が、機嫌よく近況報告をしていた最中、なんともいえない後悔の波が押し寄せた。別れた時のことを思い出したのだ。あの時、喧嘩にさえならなかった。わがままで不安定な私に彼がただくたびれただけ。「改めて、なんかごめん。」誠実さがあるんだかないんだか、ともかくそんな詫び方をして顔色を伺ったが、意外にも彼は笑っていた嫌な事をしっかり覚えている私に対し、楽しかった事しか覚えていないという。なんとまぁめでたい男。

10数年前。
恐ろしく違う感覚と、素晴らしく同じ感覚どちらも併せ持ったミラクルな間柄として3年ほど付き合い、季節ごとにあちこちを旅した。
車で、バイクで、時には飛行機で。海や山、都会にも田舎にも小さな島にも出かけた。高知で視界からはみ出るほどの大きな花火を見たことや、京都の宿のおばちゃんがやたらと時間に厳しかったこと(連泊したので何度も怒られる羽目に)、真夏の海岸線で着物姿をしたお化けを見たこと・・・。酔いが回ってきたついでに、互いの口癖も改めて指摘し合った。私の場合、いまいち理解していないのに無理矢理に同調する時に出る“確かに”。彼の場合は自分の意見を散々熱弁した後に言う“知らんけど”。信ぴょう性有る無し関係なく言うので、当時私は何度も注意したように思う。記憶の奥の奥の方、箱の中で眠っていた記憶の数々。花咲爺さんばりに可愛くて幼い思い出がそこかしこに咲いて、空っぽのグラスを気にせずテーブルの上が満開になった。

そして、ちゃんと我にかえる。
どんなに思い出話しが楽しくても、それらひとつずつが愛しくても、目の前で笑うこの人はもうほとんど知らない人。二度と共鳴することのない、何ひとつ現在とリンクしない、見えないベールの向こう側にいる人。それはまるで遠い未来からやってきた古い知人みたい。ベール、という感覚についてしばし妄想した後、「ナタデココみたいな感じ。」とうっかり声に出してしまい、先日のマスターに続いて未来人までもをドン引きさせた。

かつて私は。
今でも友人たちはこぞって言う。彼と結婚すべきだったと。純粋にまっすぐに影響し合い、育み合っていたと。でも、それを望まなかったのは私だし、そこに至らなかった理由は無数にあったのだろう。それは今でも同じ。変わらない何か、変えられない何か。少なくとも私に関してはあまり成長していない。東京から戻ってきて何もかもやり直しだったあの頃、ひょんなことから出会い、強烈に惹かれ合い、ボロボロになって決別した。「もし俺らが結婚してたとしても、多分上手くいかなかったと思う」。あの頃の声で、まっすぐに私の耳に届く。「確かに。」グラスに残った若くて甘い思い出を飲み干した。

今日はありがとう。
夜も更け、すっかり冷え込んだ大通りに出る。連絡先も交換せず笑顔で別れた。「自由にやればいい。それがあなただ。」いったい何を見透されたのか、元気づけられてしまった。タクシーのシートに沈み込み、大きく息を吸う。またいつか、どこかで。自由奔放で若かった私たちに、ふいに出会った夜だった。

 

#裏エッセイ
#ひとり酒、カウンターめぐり
#シンガーソングライター
#皆谷尚美

“かつて私は” への2件の返信

  1. 大福と夢ラジオは拝聴しておりますがこのエッセイは初めて読みました。読み始めてすぐに惹き込まれました。内容ももちろんですが文章の構成、表現の仕方にも驚きました。やはり音楽家として作詞もされているのでそのあたりの表現力に感動しました。恋の行方はどこでどうなるか分からない。でもそれをエッセイとして表現する。ほんとに良い恋愛をされているのだな感じました。また楽しみにしております。

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